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◆2022年7月、埼玉の歴教協が発行している『くわ』というニュースレターに小池豊さんが書いてくださった文章はこちらです。

最新情報がはいりましたら順次掲載していきます。

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■小池豊さんのプロフィールはこちらです。

 

埼玉県立秩父農工科学高等学校社会科教諭。同演劇部顧問。埼玉県歴史教育者協議会会員。日本大学文理学部哲学科を卒業後、臨時教員時代に演劇部顧問となり、秩父農工演劇部を長年支えてきた若林一男氏に師事する。2008年同校着任とともに秩父に移住。劇作など表現活動においては片仮名コイケユタカ名義を用いているが、本人にとっての表現活動の主軸は音楽(ギター)である。

■その紹介をする鈴江俊郎の書いたブログの文章はこちらです。

埼玉県で高校演劇部の顧問をされている小池豊先生から、実行委員会に連絡をいただいた。小池豊さん…私は名前を憶えていた。一回だけ、高校演劇の全国大会で審査員をした時に見せてもらった、秩父農工科学高校演劇部の作品。圧倒するような物量の、すごい60分の芝居。俗な言い方をすると、全国大会の常連校の実力の圧倒、というものを見た印象。その指導をされている方ではないか。現役のバリバリの先生だ。先生からの通信を引用すると、以下の通りだ。

 

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自分は埼玉で演劇部の顧問をしております小池と申します。

教科が社会科なので、歴史教育者協議会(歴教協)という研究団体の会員でもあります。

 

歴教協も全国組織なのですが、埼玉の歴教協で発行している『くわ』というニュースレターに、「『明日のハナコ』について原稿を」と依頼がありました。自分はもとよりこの問題を存じてまして、勿論実行委員会側の意見・立場です。が、論じるほど詳しくもないので、、、埼玉歴教協の数十人に配られる程度のものではありますが、「自分などが書いていいのか?」と冷や汗ながらも、勝手ながら自分が思うことを書かせていただきました。

(中略)

この問題には、「他人事ではない」要素がたくさんつまっていると思いますし、このままではいけないとも感じています。また、鈴江俊郎さんには、審査員としてご指導いただいたり桐朋学園ルートでも関わりがあったりと、自分もお世話になっております。そんなわけで、何か自分でできることがあれば共闘したいと思っていますので、その際はどうぞ連絡下さい。

 

猛暑が続いていますし、新型コロナウイルス感染者増加傾向です。

実行委員会の皆様もどうぞご自愛下さい。

 

秩父農工科学高校演劇部顧問

埼玉県歴史教育者協議会

小池 豊

 

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(ここから鈴江です)

そして、ここに掲載したとおり、歴教協で発行している『くわ』というニュースレターに記事を書いてくださった。小池さんは、ご自身の表現の経験をふまえながら、自分が消化した「明日のハナコ」の問題の受け止め方を書いてくださっている。お読みください。

とても、うれしい。

そして、うれしい半面、かなしいような告白だが、現役の高校演劇の顧問の教員では、初めてではないだろうか。こうやって、名前を公表して、私たちの運動への連帯、共闘を表明してくださるのは。悲しいような告白にどうしてなるのか、というと、私個人は、何人も現役の高校演劇の顧問の教員たちを知っていて、作品を見せてもらったりもしていて、尊敬していて、これまで、その人たちに呼びかけてきているからだ。個人的に、何人にも、「どうか動いてください」「ご自分の県で、抗議声明を出すように動いてください」「個人名をだして、抗議している、とブログに書かせてください」と。

しかし、いままで、残念ながら、すべて断られてきた。途中まで威勢よく「動きますよ」と言ってくださった方もいた。だけど、ぱったりその後、連絡が途絶えた。……なにが、だめなんだろう。どうして、こんなに明白に「高校演劇の」問題なのに、当事者の顧問教員たちは動かないんだろう。なにを、こわがっているのだろう。

 

私は、自分の、「劇作家として」の問題だと思っている。だから動く。しかし、「劇作家協会」は動かない。なぜだ。「日本演出者協会」もこの問題を検討した。しかし動かない。なぜだ。演出者・演劇人の問題じゃないというのか。

俳優たちは、自分の「俳優として」の問題だと思うだろう。だから動いてくれた人がいる。しかし、多くの俳優は私の個人的なよびかけを拒んだ。なぜだ。

高校生は、自分の「高校生としての」問題じゃないのか。なのになぜ誰も名を出して動かないのか。

高校教師は、自分の「高校教師としての」問題じゃないのか。なのになぜ動かないのか。

全国高演協は、その理事会は、この問題を知って、検討した。しかしなにも動かない。なぜだ。こんなに明確に「高校演劇としての」問題なのに。

 

私は、私個人の実感を語れば、ここまでくると、私の欲求にしたがって、私の感情や衝動につきうごかされて、この署名運動をおこし、リーディング上演を企画し、いろいろやっている……わけではない、と感じている。生理的なものとは対極にある、義務感やら責任感みたいなものに近い感じがある。私は、私以外の「当事者」たちのために、誘ってあげてる、と、そういう感覚があるとも言える。

おたくらが攻撃されてるんだよ。だからおたくら、立ち上がったほうがよくない?やんなさいよ、自分たちのために、ほら、という感じだろうか。おはしを手に持ちなさい、お茶碗の方にその手を動かしてごらん、ほら。そしたら、ご飯をあなたのお口に入れなさい、というようなきもち。そんなこと言うと失礼なのは承知なのだが、どこかに「これ、だれのための運動なんだ?」と呆然とするような感覚は、否めない。

 

何回か書いたけれど、日本国憲法にも書いてある。「国民は不断の努力でこれらの権利を守らないといけないよ」と。声をあげない者の権利はうばわれるのだ。

 

演劇は自由にやりたい。高校生は部活動をのびのびやりたい。高校教員は生徒と一緒にかんがえ、はなしあって、社会のことを題材にした芝居を支えたい。大会は充実した作品でもりあがりたい。役者はけいこしたせりふを大きな声でせいいっぱい舞台で演じたい。……そんなことすべてが、天然自然の、山の中の滝のように流れ落ちてくるものではないのを、みんなは気づいてないのか?時々は権力者にこえをはりあげてみっともなく抗議する隊列に加わらないと、うばわれるような自由なのに。

だれかお金を賭けるというのなら賭けてもいい。こんな明白な事件にこんな調子で当事者がまるで反応しないことをあと10年も続けたら、自由はさっぱり奪われるだろう。あなたはどう?「奪われない」と思う?「奪われる」と思う?

 

香港ではあっというまに自由を奪われた。

ミャンマーでは山中でゲリラになるほかない人たちがいる。

中国では言論の自由なんてどこを探してもなかなかみつからない。

ロシアがあんな不条理な侵略行為をするのは、前から政治活動の自由なんてなかったからだ。

日本だって他人事じゃない。私は、つくづくこの9か月で思い知った。この日本では、…

 

小池先生の態度表明はとっても貴重なうれしいものだ。さあ。全国の、演劇部顧問は、勇気をもって、共闘を表明してほしい。

(鈴江俊郎)

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