福井の高校演劇から表現の自由を失わせないための
『明日のハナコ』上演実行委員会
Executive committee for presentation of drama"Hanako of Tomorrow"
in order to protect the freedom of expression in high school drama activity in Fukui
◆「明日のハナコ」ビデオ上映会とワークショップのお知らせ
【日時】2024年8月11日(日)
13:15開場
13:30~ 「明日のハナコ」上映会(約60分)
15:00~ 台本を読むワークショップ
【会場】とりぎん文化会館 第2会議室(鳥取市尚徳町101-5)
【参加費】無料 ※事前申込・定員100名(定員未満の場合、当日参加可能)
【お申込方法】Googleフォーム https://forms.gle/RRxHdKPmGK7TUeAi9
鳥取県から元気のいい声が届きました。
夏に元気な、表現部とっとりのハナコです。
昨年の8月に、とりぎん文化会館の小ホールで上演した『演劇台本のドラマリーディング公演「明日のハナコ」』のビデオ上映会と、台本「明日のハナコ年代記」を読むワークショップの開催が決定しました!
3月に福井で公演された劇団雨とツルギさんの「明日のハナコ」を観て、そして、台本「明日のハナコ年代記」を読むワークショップも参加して‥
部長と相談して、鳥取で公演することになったきっかけや、ハナコの背景を知っていただける場所をつくりたい、よし、やろう!と決めました。
今回の企画をご快諾いただき、ありがとうございます!
とっとりのハナコの公演に関わってくれたみんなに、改めて感謝する日になりそう‥いや、なります☀
ええと、話は変わるんですが(^^ゞ
数年前まで僕は国語の教師でした。授業では、いろんな作品を取り扱っていましたが、そのなかに芥川龍之介の「羅生門」という作品がありました。「ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。」ってアレです。今はどうか知りませんが、昔はほとんどの高校で教えていたんじゃないかしら。
ざっくりいうと、「下人」と呼ばれる主人公が羅生門の二階に上って不気味な老婆と出会い、それを契機として利己主義の道に踏み込んでいく、というお話で、まあまあ暗い。教養のある芥川君の文章は小難しいし、死体がごろごろ転がってる場面なんかも出てくるし、女子生徒の中には「きもちわるーい」なんぞと陰口をたたくヤツもいました。すまん、龍之介。
で、そのまま講義するだけじゃ面白くないなあと思って、僕はこれを劇にして発表するようにしていました。「自分たちでこの小説を脚本に書き換えよう」「班に分かれて配役を決めて演じてみよう」。それでどうなったかというと、こんな感じの劇になりました。
*舞台は暗い。真ん中に一カ所だけ照明の光が当たっている。
明かりの中に、市女笠の女と揉烏帽子の男が立っている。二人は客席に向かって語る。
揉烏帽子の男 さて、皆様。これから皆様にお見せする物語は、
市女笠の女 芥川龍之介作、「羅生門」と申します。
揉烏帽子の男 昔々のその昔、京の都に一人の下人がおりました。
市女笠の女 ところが下人は主人に暇を出されてしまいます。
揉烏帽子の男 そのころ都はどこもかしこも不景気で、再就職は難しい。
市女笠の女 仕事がないから金がない。それどころか住むところさえない。
揉烏帽子の男 途方に暮れてたどり着いたのが、あの「羅生門」でございます。
*舞台中央に下人が座り込んでいる。これからどうしていいか、途方に暮れている感じ。
下人の後ろに二人の人影が現れる。二人は、下人の「心の中の声」 を表している。
一人は「生きるためならどんなことをしてもいい」という心の声。これを「闇の声」と
する。もう一人は「たとえ生きるためでも、してはいけないことがある」という心の声。
これを「光の声」。
闇の声 おまえはもうすぐ死ぬ。
下人 ・・・。
闇の声 仕事がない。家がない。金がない。だからお前はもうすぐ死ぬ。そして死んだら
ここ(上を指さして)の二階に、犬のように捨てられる。
下人 俺は死にたくない。
闇の声 死にたくないのなら、やることは一つだろう。
光の声 まて。そんな声に騙されてはいけない。
悪いことをしてこれから生きていきたいか。おまえはそんな人ではない。そのよ
うなことを絶対にしてはならない。
下人 確かに、悪いことをして生きたくはない。
闇の声 おまえは生きたいのだろう。なら、盗人になるしかない。盗みをしていれば生き
ていくことが出来る。
下人 どっちも確かに、言っていることは正しい。盗人なら、盗みを行いながら生活で
きる。しかしそのようなことをして生きたくない。どっちを行えば良いのだろう
か。
*下人は頭をかかえている。考えているうちに夜になる。
「籾烏帽子の男」とか「光の声」だとかいうのは、キャスト数を増やすための工夫です。小説の「羅生門」は「下人」と「老婆」の二人しか出てこないので、そうでもしないと人数が余っちゃうんです(^^ゞ。
さて、物語の終盤で、「下人」は「老婆」に対して強盗を働きます。そして老婆の着ている服やらなんやらを奪って逃げていきます。
下人 じゃあ俺がお前の着物をはぎ取っても恨むなよ!
俺も飢え死にしたくないからな!
*しがみつく老婆を蹴る。
語り手1 下人は、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。
語り手2 はしごの口までは、わずかに五歩を数えるばかりである。
語り手3 下人は、はぎ取った着物をわきに抱えて、瞬く間に急なはしごを夜の底へ
駆け下りた。
*下人退場。
音楽。
語り手4 老婆は死んだように倒れていた。
語り手5 つぶやくような、うめくような声を立てていた。
語り手6 それから、はしごの口まで、はって行った。
語り手7 もちろん何も見えはしない。
語り手8 外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。
語り手9 下人の行方は、だれも知らない。
*音楽と明かり、消える。おしまい。
会場は特別教室を借り切って、窓も壁も暗幕で覆って真っ暗にして、部室から照明機材と音響機材を持ち込んで・・・自慢ではないですけど、この授業は盛り上がりました。やっぱり、生徒たちにとっても、表現することは楽しいんです。
とりわけ衝撃的だったのは、「下人」が「老婆」を「蹴倒す」場面でした。下人役の男子が老婆役の女子を蹴倒すんです。もちろん実際に身体に触れるわけではなく、演技なのですが、それでも観客の生徒たちが息をのむのがわかりました。その男子にも雰囲気が伝わって、「おれ、とんでもないことをしてしまった」と愕然としていました。上演後に劇の感想を書かせましたが、そのなかにも「アレはない」「○○は人でなしだな」「あいつは一生彼女が出来ないだろう」なんて書かれてました。合掌(^^ゞ
生徒たちは、暴力シーンなんかテレビでも映画でも見慣れているはずなんです。それでも衝撃を受ける。人を人が蹴倒す、という行為がどれほど異様なものであるかは、見ているだけではわからない。活字を読むだけではわからない。僕たちの想像力や理解力は、自分で思っているほど凄いものではないのかもしれません。僕たちは、それが身に降りかかってこないと、文字通りこの身体の上にその打撃が与えられないと、わからない。
もしかしたらですが、イジメがこんなに多いのは「わかったつもりでいる子供たち」が増えたからかも知れません。戦争が起きてしまうのは「わかっているつもりでいる大人たち」が増えたからかも知れません。
鳥取の皆さんの活動には、だから全面的に賛同します。演劇は、それを見せることでお客さんに体感させることが出来る。それを演じることで自分がより深く体感することが出来る。
この催しにたくさんの人が参加してくださることを切望します。
(玉村徹)