top of page
とっとり1.jpg
市長.jpg
水野先生ともうおひとかた.jpg
ハナコと小夜子.jpg
朗読する女性.jpg

◆2023年3月21日、三重で「明日のハナコ」上演されました!

 行ってきました、「3.21さようなら原発三重パレード2023」に。玉村です。

「明日のハナコ」のリーディング上演があったからです。

 三重に行くために朝6時38分の電車に乗らなくてはならずそのためには5時には起きないといけないので目覚まし時計を2個も枕元に並べたとかおかげで寝不足で乗り継ぎの電車を間違えたとかそのために三重の津市につく時間が大幅に遅れてしまったとか弁当を買う時間もなく空きっ腹のまま会場の「津センターパレス」に到着しそのへんにコンビニくらい・・・周りを見渡してもコンビニがなかったとかええい今日はドツボ続きやんけと涙ぐんだりしたとかいやいやそうじゃなくて僕が言いたいことは、12時から始まった上演を観劇しながら「演劇とはなんだろう」ということを改めて考えたということでした。

 福井県には原発がたくさんあります。それに依存していると言ってもいい。市町村によっては原発がなくなったらその運営がままならなくなるところもある。「明日のハナコ」の台詞にも高校演劇だって「原発のお金がナンボか流れ込んでいる」って台詞がありましたでしょ。演劇だけじゃなくて、福井の高校生のさまざまな活動の中に原発からのお金が入ってきています。「あたしら原発のおかげで劇がやれてるんです」ってわけです。

 今は稼働していない原発もあるけど、その放射性廃棄物は原発敷地内に保管されていて、それを保管しているというだけで年間何億というお金が県に流れ込む仕組みになっている。何もしなくても原発があるだけで儲かる。たぶん僕たちは過去のどこか、気がつかない薄暗がりで「原発と共に生きていく」という契約を交わしたんでしょう。誰かのせいには出来ません。僕たちは原発から利益を得ている。そしてそのことは既定の事実になっている。それがなくなったら生活が出来なくなる人たちがいる。娘の進学資金を出してやれない。会社がつぶれる。路頭に迷う。したがって原発に異を唱えることは現実的ではない。批判することは多くの人間を傷つける。そして人を傷つけてはいけないわけだから反原発運動はよろしくない活動ということになる。そんな活動に関係したというだけで友達が減る。距離を置かれる。話題にすることもはばかられる。不作法なことになる。表現がアレですけど、ちょうどウ〇コみたいなもんです。どうしたって縁は切れないけど臭くてたまらない。これなんとかならないかしら、なんて話題を食事中にする人がいたらそんな人は嫌われるでしょ。僕たちは〇ンコと同居することを強いられ続けている。無視するしか仕方がないんだけどそろそろ鼻が曲がりそう。

 これ今の日本の話です。

 みんな原発が危険なものだということは知っています。福井県民だって無知蒙昧な人間たちではありません。フクシマのことだってチェルノブイリだってスリーマイルだって知ってる。何かあったら家も命も奪われてしまうだろうということはわかっている。新聞だって読むしテレビのニュースだって見る。

 テレビのニュースで思い出しましたけど北朝鮮のミサイルが飛んできますってニュースが最近よく流れます。これは僕の純然たる邪推なんですけど(^^ゞ)、外敵を強調することで国内問題から国民の目を遠ざけたり国内の邪魔な意思を排除したりするというのは昔からよく使われてきた手法だと思うので、あの「Jアラート」を聞くたびにイラッとします。そのたびに僕たちを地下街に避難させるのはまあいいとして、原発クンはどうするのかな。彼は海岸沿いに野ざらしになってるから本気でかの国に攻撃の意思があるなら、地下街の僕たちよりもそっちを狙うでしょ。飛んでくるミサイルを完全に防御することは出来ないというのがウクライナでの教訓でしょ。なのにそれでも原発を再稼働することにこだわってるところをみると、僕たちの安全なんかどうでもいいと思ってんだろうな。あるいはもっとありそうなのは、どっちみち福井県民は文句なんか言わないだろうと思われている。なんでも言うとおりにする従順なヤツラだと思われている。実際(ほとんどの人は)文句言わないし。

 でもこれまた超絶私見を言うんですけど、たとえば大阪の人がこぞって「そうか、そんなに福井の人たちは苦しんでいるのか、だったら原発で作った電気なんか使わない」と言い出したら即日原発は止まります。「大阪湾に自前の原発を作るからもう福井の原発なんかいらないよ」でもいいか。

これは沖縄の米軍基地問題と似てますね。沖縄以外の県民がこぞって「もう基地はいらないよ」と意思を表せば政府は文句言えないはずです。あるいは「うちの県に米軍基地を作るから沖縄のは撤去していいよ」と言ってもいい。それで沖縄の基地問題は解決します。でもそんなことは誰も言わない。

 裏を返せば、原発も米軍基地も多くの国民が「必要だ」と思うけれども「うちの近くにあるのはいやだ」と思っているということです。だから原発も基地もそこにある。多くの人たちが認めているからそこにある。僕もあなたも被害者ではない。加害者です。この国に生きている限り、誰も「自分は無罪だ!」と宣言することは出来ない。

 これまで通りでいいじゃないか。とりあえずうまく行ってるだろ。原発も米軍基地もしゃあないやん。軍備を増やす? まあ決まったんならしゃあないやん。電気代が上がる? まあしゃあないやん。大臣が問題発言した? まあそんなもんだろ。老朽原発再稼働? まあしゃあないやん。そんなことよりも今日のパン。明日のビール。そう考えることは仕方のないことかも知れません。

でもそういう生き方は人間の心を腐らせます。お金はあっても夢がない。妥協はあっても希望がない。僕らは子どもたちにどんな夢を語れるだろう。若者にどんな希望を語れるだろう。

 とはいえ。三重県は少し違います。

三重は、もしかしたらそうなっていたかも知れないもう一つの福井です。あるいはSF的な表現を許してもらえるなら、過去のどこかの時点で二つに分かれた時間線のもう一方。

 三重は原発を選ばなかった県なんです。

その誘致を何年も食い止めてきたんです。これ、すごいことなんですよ。

原発ってほんとにしつこいんですよ。何年も何年も波状攻撃みたいにして押しかけてくるんですよ。知ってました? 一度断ったくらいじゃ駄目なんです。何度拒絶してもあの手この手を使って攻めてくる。弱いところを突いてくる。お金をちらつかせる。時には暴力もちらつかせる。バックにはお上がついているのでめっちゃ強気なんです。僕の知ってる人は建設予定地に座り込みして頑張ってたんだけど夜中突然屈強な一団が現れて力ずくで引きずり出されたそうです。ちなみにそれは警察とかじゃなくてCMで有名な民間警備会社。さすがレスリングとか柔道の選手をたくさん抱えているだけのことはあるそっく(^^ゞ)。このへんの詳しいことは「原発の断りかた ぼくの芦浜闘争記」(柴原洋一)を読んでください。アマ〇ンですぐに買えます(^^ゞ) 原発を断ることはほんとに大変です。

そして三重は、原発を断ってもちゃんと存在していけるということを証明した県でもあります。あんなものに手を出さなくても人は生きていける。むしろ「手を出さない」選択をしたことで三重は福井よりも豊かな県になっている。

 バスに乗り遅れるな。今ここにハンコを押したら道路が出来る。仕事が増える。街がきれいになる。高校が出来る。大学が出来る。みんな幸せになれる。ほら、バスに乗り遅れるな。そんな声に僕たちはすぐに騙される。

 だからその三重で「明日のハナコ」が上演されたということに僕は深く納得したんです。三重ならばそうであろうと思ったんです。もちろん大変な苦労があったと思います。劇を作るには人間も場所も時間もお金もかかります。この中で一番大変なのは人間です。「一緒に劇を作ってみないかい」と勧誘されてどれだけの人が「やります」と応えるか。何もしないことの方がよほど楽ですもんね。

 

 

 

 

 

 

 

 僕たちは二人芝居でやりましたが、三重のみなさんはそれを膨らませて8人で演じておられました。上演してくださったのは「鈴鹿麦わら帽子の会」のみなさんです。「女子高生っていう歳じゃないですけど(^_^)」と笑っておられましたが大丈夫、ちゃんと「ハナコ」「小夜子」に見えました。このへんが映画やテレビと違う、演劇のいいところですね。普通のメディアは見たまんまですが、演劇は観客が想像して補完する部分が大きい芸術なので「どんなものでも演じられる」。

 それに演劇的な指導をされた水野先生(高校演劇の顧問をしていたとき僕が大変お世話になった方です。「ハナコの夫の漁師役をなんというかとてもジェントルに演じておられました。ていうか根っからとってもジェントルで、でも内に熱い心を秘めた方なんですけども)にはお世話になりました。。もともとこの「明日のハナコ」上演の企画自体、水野先生が最初に立ちあがって始まったものだと聞いています。あちらこちらに働きかけ、戦い、交渉し、駅頭で劇のチラシを撒いたりもしたそうです。

 あとゲスト出演された(んだと思うんですけど)当時の敦賀市長役でもんのすごい名演をされた方。コイツわっるいわっるい政治家やなあ石投げたろかい、とホールの全員が思った悪役ぶりでした。この方がすごいのは、脚本には書いていない箇所で実に的確に「うははは」と笑うところですね。読み込んでないとアレは出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 というわけで観客の皆さんの反応も上々でした。身を乗り出すように見ている方、笑う方、拍手する方。とてもよい上演だったと思います。

 それから、めっちゃ手前味噌ですけど、自画自賛じゃんといわれたらそうなんですけど、それでも僕は「ああ、素直でいい劇だなあ」と思いました。いまさらどうした。脚本書いたのおまえだろ。いやそうなんだけど。でもさ、上演を見てあらためて発見することってあるじゃん。

これはこんな劇だったんだ。まっすぐでけなげな話じゃないか。まだこの世界に生まれて10数年の若い高校生たちがそこにいるじゃないか。大人のしがらみや汚れや暗黙の了解に絡め取られていない彼女たちはすがすがしいじゃないか。すがすがしい彼女たちは素敵じゃないか。

 僕はこの三重の「明日のハナコ」を見て、初めて彼女たちの素敵さに気がついたように思います。この劇がこんなに多くの人に愛されたのは、原発反対とかそういうことじゃなくて、いやそういうことももちろんあるんだけどでもそれだけじゃなくて、真摯で素直な彼女たちの魅力がまず第一にあったからなんだ。僕たちが会いたかったのは、そういう彼女たちなんだ。それがこの国の希望であり未来だということを、僕たちは心のどこか明るい部分でよく知っているからなんだ。

だからこそ、こんなたくさんの人たちが上演してくれ、見に来てくれている。

だから僕はまだ日本に希望はあると信じています。

 最後にちょっとだけ余談1。

 上演と、そのあとの中嶌哲演さんの講演(題は「脱原発をめぐって今いちばん訴えたいこと」。中嶌さんは福井県小浜市のお寺の住職をされていて、長年原発反対運動に携わっていらっしゃる方です)が終わって、僕はロビーにぼんやり座っていました。ああ疲れた。腹減ったなあ。どっかに食べ物屋はないかしら。すると後始末をしていたスタッフの方たちの会話が聞くとはなしに耳に入ってきました。

「演劇ってお金かかるのねえ」

「照明とか音響の機械とかすごいのよ」

この催しで劇をやるのはどうも今年が初めてらしいです。

「赤字になるかと思ったんだけど」

「うんそうそう。すごく心配した」

「でもみなさんカンパしてくださって」

「ほんとねえ。たくさんカンパしてくださったわねえ」

「おかげでなんとかなりそう(^_^)」

もちろん「明日のハナコ」だけの力ではないと思いますけど、やっぱり演劇には人の心を動かす力があると思います。三重の皆さん、来年も劇やりましょう。なんだったらワタシ脚本書きまっせ。「明後日のヒナコ」とか。おいおい。

というわけで、これだけでもうご飯はいいや、腹一杯だ、と思った僕でした。

(といいつつ、そのあとやっぱり津駅の二階で水野先生と蕎麦を食べたんだけど。美味でした(^^ゞ))。

 余談2。

 三重の会場で「表現部 とっとりのハナコ」の代表の方と会えました。なんと鳥取から車を運転して弾丸日帰りロードだそうです。どんだけ元気なんだ。そんでこういう出会いがあることがめっさ嬉しい(^^ゞ)

 こちらは4月からワークショップを開いていって、8月6日(日)、とりぎん文化会館小ホールで「明日のハナコ」を上演する予定だそうです。今度は鳥取かあ。美味しい「ふろしきまんじゅう」もあるしな。

 これは行かねば。

 

 (写真は「表現部 とっとりのハナコ」の部長さんからタマムラがチラシをもらっているところです(^^ゞ))

01 終わりの挨拶.jpg
2023-3明日のハナコ カラーチラシ 02-2.jpg
2023年3月21日,津市で。

 三重県「津センターパレスホール」で開催される「さようなら原発三重パレード2023」のなかで「明日のハナコ」のリーディング上演が行われることになりました。

 

「津センターパレスホール」は三重県津市大門7番15号 津センターパレスビル5階。時間は12時頃の予定です。

​ チラシができあがりました。こちらに紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この催し自体は、三重県において2012年から団体個人を問わず「さようなら原発」のスローガンに賛同できるなら誰でも参加できる集会とデモということで、年一回続けて来こられて来年で11回目になるそうです。三重県は過去、原発建設の計画が浮かび上がりながらも、草の根の活動によってそれを阻止続けている県でもあります(この経緯は「原発の断りかた -ぼくの芦浜闘争記-」柴原洋一・月兎舎 に詳しいです)。

 リーディング上演をしてくださるのは、鈴鹿市で長年被爆者の手記などの朗読劇や平和活動をしてきた「麦わら帽子の会」+三重県内の元高校演劇部顧問の先生方が立ち上げた「演劇と表現の自由を考える会」などのみなさんです。

 この「演劇と表現の自由を考える会」のなかに、僕が懇意にさせてもらっている先生かおられます。水野知行先生とおっしゃって、長年高校演劇に携わり、僕は中部日本高等学校演劇大会とか中部ブロック主催の演劇研修会とかでほんとにお世話になりました。以下は僕とその水野先生の間に交わされたメールの一部です。ご本人の了承を得て、ここで掲載させていただきます。

今日ようやく「麦わら帽子の会」6人のみなさんとともに役を当てながら稽古に入りました。元顧問からは(「麦わら…」の方がまだ初めなので緊張するからと、とりあえず)私だけ参加しました。平均年齢は高いのですが、経験がものをいうのでしょうか、雰囲気をよくつかんでいらっしゃって軽妙な掛け合いは、今日稽古入りとは思えないくらいでした。上演の主体は「麦わら帽子の会」ですが、「演劇と表現の自由を考える会」は上演の成功にむけ、できることは何でもしようと確認しています。

 最近「村八分の記」(石川さつき)を読む機会がありました。ご存じと思いますが、1952年の本ですが、今の状況と重なるところが多くて、なのに今ごろ読んでいるなんて、ほんと自分の無知さ加減に地面にめり込みたくなる。そんな本でした。

 村の選挙違反を訴えた女子高生が書き残した記録です。石川さんは学校新聞にそのことを書くのですが、学校側がすべて回収して焼却処分にします。そこで朝日新聞社に手紙を書いて訴える。記者がやってきて取材して村は大騒ぎになり、結果、村から十数名の逮捕者が出ます。すると、石川さんは間違ったことをしていたわけではないのに、彼女の家族は「村八分」にあいます。

 当時ですから田植えも稲刈りも村人総出でなくてはできません。僕の子供の頃もそうでした。田植え機なんかないからみんな田んぼに横一線になって手で植えていきます。そうでなければ広い田んぼなんかどうしようもない。それが、誰も来てくれなかったらどういうことになるか。今以上に人と人とのつながりが強かった時代に、そこから切り離されるのは、現代のサラリーマンには想像も出来ない苦境です。でも、「村から逮捕者を出させたとんでもないヤツラ」「村のしきたりを無視した跳ね上がりの娘を産んだ家」ということで、村人たちは罰として石川家に孤立をしいたわけです。

 ここには「正しいかどうか」ではなくて、「和を守ったかどうか」ということの方が優先されるという日本人の性質が浮き彫りになっています。ほんとに、僕たちは「正しい」ことができない。たとえばイジメがなくならないのもそのせいだろうと思います。そんなもの、悪いに決まっている。そんなことはみんな知っている。けれどもそれよりも集団の掟の方が優先されてしまうように、僕たちはプログラムされているようです。

そもそも教師も本当にイジメをなくそうとしていただろうか。なくそうと思っているだろうか。「明日のハナコ」の事件を振り返ると、ああいう先生たちが本気で学校を変えようとするはずはないと、僕は思います。

 この選挙違反も、さかのぼっていくと当時の総理大臣・吉田茂の派閥につながっていく候補者を当選させるためであったようです。もちろん吉田茂が直接指示したんじゃない。果てしない忖度の階段が連なっていただけです。

 今日(11/17)も福井新聞には、北陸新幹線の話題が書かれていました。

「北陸新幹線の沿線10都府県でつくる同盟会は16日、建設促進大会を東京都内で開いた。敦賀-新大阪間の2023年度当初着工に向けた手続きの遅れについて、与党整備委員長の高木毅自民党国対委員長は「大変厳しい状況」と改めて説明。23年度当初の着工と、工事認可が得られなかった場合の事業前倒しの「両面作戦を考えなければならない」との考えを示した。」

 この高木毅氏が「明日のハナコ」に引用した発言をしたかつての敦賀市長の息子さんです。原発推進派。こんなふうに北陸新幹線も大きく関わってますから逆らえる人はいません。もちろん彼が「明日のハナコ」を弾圧したんじゃない。彼に至る忖度の階段にずらっと座っている人たちの、たぶん一番下あたりにいる先生たちが動いただけです。びっくりするくらい、何にも考えずに、反射的に動いた。僕は先生というのは知識階級であり、現実離れするくらいに「正しいこと」にこだわってくれる人種だと思っていたので、そこのところを読み違えてしまっていたようです。ほんとに、ほんとにみんな「日本人」なんだなあと、今にして思いました。

 もちろん、日本人だけに限りません。忖度はたぶん、社会的動物である人類の宿痾なんでしょう。そしてこの程度のことは、たいていの本に書いてあります。僕たちは、それが自分の中にも存在するウイルスだということを自覚して生きていくべきなんでしょう。そして普段の反省と検証という戦いのもとで自分の行動を律していくべきなんでしょう。でないとまた、僕たちは集団自殺への道を走ってしまう。70数年前、危うくそうなりかけたように。みずから進んでその道を走ってしまう。

 「選挙がどんなに大切なのか、三〇〇円もらって売り渡してしまった権利が、働けど働けど生活の楽にはならないひとびととはくらべものにならないオエラ方の利欲のために利用されているのだということ。そういうオエライ方々は金もうけのためには働くひとびとの生命を犠牲にする戦争さえもおっぱじめるのだということ。生命をうばわれるのはおばさんの息子であり、わたしたちなのだということを、わたしは、わたしをとりまく多くのひとびととともに考えなければならないのです。そういう組織化された社会的な努力をわたしも多くのひとびととともにしなければ、わたしも含める多くのひとびとの仕合わせはけっしてやってこないのです。」(「村八分の記」より)

 これが一七才の高校生の言葉です。時代もあったのかも知れない。でもこれは一〇才まで軍国主義教育を受けた女子生徒の言葉なんです。ちなみに、石川さんの行動を当時の教職員組合は全面的に支持するという宣言を行っています。そのころは大人だって頑張っていたんです。

 ところが「明日のハナコ」の活動をしていて、僕たちに一番ぶつけられた批判は、「こんな劇は高校生にはふさわしくない」というものでした。こんな主義主張の強い劇を高校生にやらせるべきじゃない。高校生を矢面に立たせるなんて、何を考えているんだ。批判されて傷つくのは高校生なんだぞ。脚本を書いた先生は、いたいけな高校生を操って恥ずかしくないのか。

 とんでもないことだと思います。

 若者が、身の回りにある出来事に関心を持たなくなったら、それこそ大変だろうに。僕たちは1952年の段階からずいぶんと後退してきてる。でもそんなこと誰も覚えていない(そもそも僕が高校生を操ったなんていう指摘には笑いました。たぶん、そういう人たちは「高校生は無知だから操られてしまうもの」と思っていたり、「自分も高校生を操った覚えがある」そんな人たちじゃないかな)。

「こういうことに高校生を巻き込むことは、やっぱり・・・」と考えるとしたら、それは自分の中にある忖度プログラムが発動しているわけです。

 操るんじゃなくて、若者が参加できる機会があるかどうかです。彼らにも彼らの意思が、力が、責任があると思うかどうかです。そういう機会を、僕たちは「安全」とか「保護」とかいう言葉のもとに、どんどん奪ってきた。おかげで誰も何も言わない人々がたくさん生まれて、何も言わない人たちの社会が出来て、それでこんなに日本は平和ですけど、おかげでイジメやらブラック労働やらが蔓延して自殺が多くて格差が広がって軍備予算ばかりが増える国になりました。それに文句を言わない社会になりました。

もちろん僕にも責任があることは自覚しています。僕も教職に就いている間、「とりあえず黙って頭を下げておけ」的な指導をしていたかも知れない。そのくせ口では「一票を投じて意思を表明することが民主主義社会では大事なんだよ」なんて理想論をぶち上げていたかも知れない。そんな欺瞞に満ちた教育に僕も荷担していたかもしれない。恥ずかしい話です。僕が真摯に取り組めたと言い切れるのは、たぶん演劇だけです。

「演劇……考える会」は今のところ元顧問7、8人ですが、元でも顧問でもなくても広く賛同を呼びかけることにしています。

 頑張ってください。若者にも勇気が必要ですが、たぶん、その前に、僕たち大人が勇気を示す必要があります。「これは危ない活動だから、高校生を巻き込むわけにはいかないよな」と思ったとき、それは本当にそうなのか、それとも自分の中にあるウイルスがしゃべっているのか。

運転によって原発に依存=支配されてきた福井の人たちの歴史が暴露されている劇を上演すること、しかもアベ菅政権下では表に出なかった岸田政権下での再稼働への驀進という状況下で上演することの重みはあるだろうと思います。

 福井新聞11/10にこんな記事がありました。「経済産業省は9日までに、原発が再稼働した際、立地する市町村と接している隣県が国から最大五億円の交付金を受け取ることが出来るよう制度を変更した。」

 島根原発なら鳥取県、敦賀原発なら滋賀県がこれをもらえるそうです。なにもしなくても五億円入ってくるんです。「事故さえ起きなければ」ですけど。あるいは「事故なんか起きない」と信じられたらですね。ついでに、廃棄物のことなんか知ーらない、と言えればですけど。

 こんな時代に声を上げてくださる三重のみなさんにはほんとに頭が下がります。福井県はもうとっくにずぶずぶだと思います。立ちあがるのは難しいかも知れない。いま僕も「ハナコ2」に取り組んでいます。

 僕に出来ることがあればどんなことでもしなくては、と思います。

                                         (玉村徹)

2023-3明日のハナコ カラーチラシ (1)_page-0001.jpg
2023-3明日のハナコ カラーチラシ (1)_page-0001.jpg
2023-3明日のハナコ カラーチラシ 02-2.jpg
bottom of page