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2025年1-2月、けっして「明日のハナコ」事件に取材したわけではない喜劇、「ニッポン人は、亡命する」が東京、大阪、北九州……上演が旅をする!




 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 

 
 

 
 

 























 東京だけの公演がすでにきまっていたこの新作の上演が、ついに東京をでて、広い日本のあちこちに飛び出ていきます!
     https://uzumenet.com/exilefromjapan/

 「明日のハナコ」事件にけっして取材していないという副題でありながら濃厚になにやらそのあたりの事実が新たにまた浮き彫りにされるのか?深く日本社会の闇にまで切り込む契機を与えるこの事件の様相、それを目撃し体験した劇作家の目から見たこの事件、そして世界が、たっぷりと展開されることになるのかもしれないこの作品。
 どうか、三都市の上演を見に行こう!

 そして、鈴江は各地に出没してアフタートークで語る。東京では、この事件に関してのシンポジウムもおこなわれる。多様なゲストが、まだまだこの事件を風化させないのだ、と問題はどこにあり問題はどこまでいくのか、日本の社会はこの汚点を払拭できるのか、これからの世界は大丈夫なのか、どういうてだてで私たちは健康で人権の守られる世界をつくっていけるのか――などなど語り合うことになります。

 どうか。会場で会いましょう。みなさん。
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◆うずめ劇場「ニッポン人は亡命する――決して福井県の『明日のハナコ』事件に取材したわけではない喜劇――」は北九州、大阪、東京での上演をすべて終了!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやあたいへんでした。たいへんだったと思います。うずめ劇場の方々。それを支えたすべての関係者。お客さん。

鈴江は東京で4ステージ、大阪で2ステージ、アフタートークのお喋りをおおせつかりまして、話しました。

うーん。もうとてもおそろしい。お客さんは今、お芝居を見てなにをどう感じてるんだろうか。それがもう表情のむこう側はとても暗い闇のように思えて仕方ない恐怖心。いや人によっては表情の向かい側も皆さんのお顔の通りにひまわりの花弁のように明るい暖色なのだよ、と思える人もいるんだろうけれど、私はもうやはりなんていうのだろうか、そんな健康的に生まれついてはいないというか、ここまでの育ちが健康じゃないというのだろうか、とてもおそろしいのです。

大丈夫。いや大丈夫きっと大丈夫。そんなおそろしいような感想の人ばかりじゃないってば。言い聞かせながら、私は毎回、舞台に向かいます。

そして。もう。どうにかこうにかしゃべりました。

お客さんたちは、上演が終わってもさっさと帰る人は少数でした。私やゲストの話すことを多くの方が熱心に聞いてくださりました。それはもう舞台でやっていたお芝居が熱かったからだろうと思います。

いつもお芝居を終わると思います。はるか昔に見た高校演劇の上演の中で語られていたセリフを思い出すのです。「演劇は、風に書かれた、文字だ。幕がはねたらただのごみ。」そうやって高校生が上演を終えた台本をびりびりに破る。そういうシーンがあります。そう。舞台作品は、どこかで録画されたり、写真に残ったりしても、けっしてそれがそれだとは言えない、時間空間、肉体、呼吸、匂い、息遣い、そんな再現不可能な一回限りで消えてしまうもろもろのことなのです。

終わった。消えてしまった。そして、残っているのは私の、見た人の記憶の中にだけ、です。

どんなふうに残ってるでしょう。この劇は。その残っている劇と私は対話したい。そんな願いを持ってしまいます。決してかなえられない願いですが。つまり、その一人一人の中に残っている劇は、けっして私の書いた台本でもなく、演じた役者たちの意図のかたまりでもなく、演出家の狙いどおりのものでもなく、そのそれぞれの人のなにか感じる仕組み、フィルターともいうしバイアスともいうし、要するに感性を経て想像された別個のものになってます。それはどんなものなんだろう。機会があればぜひみなさんまたお話ししましょう。気弱な劇作家はそんなことを考えています。

 

上演の写真を、けっして定着できない記録だとわかっていながらここに紹介しました。どうぞご覧ください。

私の演出する、そして出演する、とても小さい会場でやる、「ニッポン人は亡命する」は2月下旬に今治で。3月1日に鳥取で。倉吉で。行われます。またそれはそれで全然違った味わいのものになります。

また皆さん、そちらもぜひご覧ください。

 

『明日のハナコ』の事件を、けっして取材してないけれど、私の、私たちの、あなたたちの胸の中でお芝居をやるたびに生まれ変わり、新鮮に、人はなぜ生きるのか、今生きる手触りと劇ってどう関係するのか、表現ってなんなのか、問うてきます。2025年2月9日。

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2025年1月、「明日のハナコ」に取材したのか?してないのか?鈴江は喜劇を書いた。それが東京で上演される。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

鈴江俊郎は、戯曲を書きました。それは、上演されます。

2025年1月24日(金)~26日(日)うずめ劇場第41回公演にて

「ニッポン人は亡命する。

ーーけっして福井県高校演劇祭での「明日のハナコ」事件に取材しているわけではない喜劇――」

(作 鈴江俊郎 演出 ペーター・ゲスナー)

シアターΧ(東京都墨田区両国)提携公演 5ステージ

上演予定です。どうぞお楽しみに!

…………………………………………………

 東京だけの公演が今のところ組まれてますが、ほかの大都市でも上演はされるかも、されないかも。今もまだ予定はもしかしたらひろがっていくのかもしれません。

 すると、演劇の世界に、またしてもこの問題は一石を投じることになるのに違いありません。演劇の世界を通して、この問題が世界に一石を投じることになることは間違いありません。また詳しい新たな情報がありましたら、告知しますね。

 このペーター・ゲスナーさんは、鈴江とは桐朋短大での同僚でした。いまもそこで教えてる人です。長らく日本に住んで日本の俳優さんたちと劇をつくっているドイツから来た人です。

 私が体験したこの事件の話をファミレスで彼としていたら、「その話をぜひ台本に書いてくれ」ということになったのです。

 「けっして事件に取材しているわけではない喜劇」と副題にしていますが、ほんとに果たして取材しているわけではないのか?したのか?……そこは上演を見てのお楽しみ。どうしてこういう副題をつけているのか、そこになんの含みがあるのか、なんの訴えがあってこのタイトルなのか、……それもすべて上演までは謎にしておきましょう。

私は、書きました。それだけは確かです。この事件をどう感じたか、どう考えたか、どうすべきだと思っているか、私が、世界が。当事者が。取り巻く関係者が。そして風化させないぞ、という意地を持っています。ひとりの人権を持つ市民として考え、ひとりの人権をなまみのことがらとしてうけとるおっさんとして感じ、しかし、劇をやってきた人間としては、劇を書くことで考えるという作業をしないわけにはいかない、とゲスナー先生の提案をありがたくうけとったのです。

 事件は、福井のことにとどまらないのです。日本全体のことです。そして世界のことです。高校演劇のことにとどまらないのです。演劇のことです。表現のことです。自由のことです。それはひとりひとりの、あなたの生きづらいこの世界のありさまのことです。小さく、狭くこの事件のことだけにこだわる思考ではもうとどまらない、事件がひろがる領域と闇の深さを、私はのぞきこんでいます。そのこと自体が、この作品に現れつくされているというわけです。

またこの劇のことは、このサイトにも書きます。

 そして、全国の、この「明日のハナコ」上演を企画し、実行してくれた人たちに、これからも続々上演を予定していてくれる仲間たちに、かぎりない連帯のきもちをこめて、情報をとどけます。

よろしくお願いします!

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