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◆2022年9月5-11日、宮城県石巻市、シアターキネマティカで演劇ワークショップ、そして上演が行われます。そのチラシはこちらです。
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それを紹介する文章がこちらです。

 

◆「明日のハナコ」もついに白河の関を超える!
 宮城県は石巻市に新しくできた、シアターキネマティカで『明日のハナコ』を通じたワークショップが行われます。一週間で練習、そしてお客様の前で本番を迎える、という企画。

 講師は池田智哉さん。東京や石巻で活動している演出家だ。 チラシにはこうある。

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 この演劇ワークショップでは、「明日のハナコ」という演劇の創作をします。メインは演劇を作りますが、演劇を作りながら原発について考えたりもします。女川原発からもほど近い石巻の街で。新しいシアターキネマティカという場所で。もちろん、女子高生じゃなくても老若男女誰でも参加OK! 一緒に演劇作りませんか? 
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 もちろん演劇を初体験の人やたくさん体験してきた人がこの演劇を楽しむ、というのがとってもたいせつ。そして、上演はとっても元気のいい時間になってお客さんが感動するのがたいせつ。だけどこの企画をした人たちはそれだけじゃないのだ。
 ――「原発について考えたりもします」―― 

 演劇は、書いてあるセリフを抑揚たっぷり言うだけが仕事じゃない。アクションたっぷり大げさに動くのだけが仕事じゃない。見もしないし舞台にでたりもしない大人たちは、要するに縁遠い人は、そういう表層の仕事が演劇だ、と思い込んでるみたいだ。とんでもない。

  演劇は、そしてアートは、「思うこと」がまんなかにあるのだ。表層じゃなくて、内面。あるいは深層。心の中が動くこと。それがあってこそ、アートが生れる。アートとは、作り手が心動かすことが出発点で、そしてすべてなのだ。アートしていると、心は動く。表層ではじたばたしてるようにしか見えない彼らは、その中で心が動くことを感じる。考えてなかったことを考え、思ってなかったことを思い、感じてなかったことを感じる、ってことを、感じる。 

 理解のない高校教師たちや、心ない演劇人は、この「明日のハナコ」が蹂躙された事件について、「台本を書いた大人が子供をあやつったんでしょ」と問題を矮小化して言う。けれど、そんなふうには演劇はできるものじゃないのだ。心動かさないで吹ける楽器があるだろうか。歌える歌があるだろうか。言える台詞があるだろうか。稽古して、客の前で立つと、セリフは書かれた文字ではなくなって、他人の文ではなくなって、私のことばになる。これが、ごくあたりまえの「演劇」っていう行為なんだ。 

 休日にはパチンコしてテレビ見てTikTok眺めるだけ――てな無趣味なさみしいおじさんたちに、知ってほしいことは、これだ。なにがうれしくてそんなに苦しい思いして稽古するの?なんのために演じるの?それは「なんのために生きるの?」と同義の問いなのだ、ということ。 

 このワークショップは、「考えることをします」と堂々とうちだしている。そう。考えようじゃないか。それが、文化だ。演劇だ。人間は、パンだけで生きるものじゃない。経済だけじゃ、なんてさみしい世界なんだろう。大人は、アートする存在だ。そのはずだ。 

 このワークショップを断固支持します。

  くわしくは https://www.r-ishinomaki.com/post/summer_school_01 までどうぞ。

 

             鈴江俊郎

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