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◆「明日のハナコ」が下関に行くこと
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2024年4月27日(土)。山口県立下関中等教育学校で「明日のハナコ」が上演されるんです。ありがたいことです。演劇部の顧問の先生のお話によると、

 

高校3年生の自主企画ということで、引退を前にして仲良し2人組が、二人劇をしたい!という思いで台本を選び、上演することとなりました。本校演劇部は光栄なことに今年夏の全国大会に出場することになり、高3にとっては自分たちで好きに脚本を選んで劇をする最後の機会ということで「明日のハナコ」をぜひやりたいと考えたようです。

 

高校の演劇部から「明日のハナコ」の上演許可を求められたのは、これが初めてです。もともとこの劇の脚本は高校演劇の大会用に書かれたものだし、高校生のみなさんに考えて欲しいことを盛り込んだつもりだし、二人芝居だからキャスト集めも簡単だし、使ってもらっても脚本使用料なんかとらないし、だからもっとあちこちで上演してくれてもいいのになあと思ってたんですけど、なかなかお話がなかった(>o<)。

 

そりゃお前の書いた脚本がつまらんからだろ、という闇の声は無視することにして(^^ゞ)、先ほどの先生のメールにはこんな続きがありました。

 

生徒たちも、「明日のハナコ」が封印された出来事に関心を持ち、いつか自分たちで演じてみたい、と考えていたようです。生徒も教員も、表現に関わる者として、また教育の場でこのような公演をさせていただくことの意味を噛みしめながら、本番を迎えたいと思います。

 

教育の政治的中立性、なんて言葉があります。教育は特定の思想に偏ったものであってはならない。これは理屈としては正しい。かつての忠君愛国思想とか軍国主義がこの国を悲惨な戦争へ導いたこと、そして、そういったものに学校教育が積極的に荷担してきたことを考えれば、政治的中立の重要さもわからないことはありません。

 

とはいえ。

またまた丸山眞男氏がこんなことを書いています。

「公務員の政治的な中立といったことは、事実は中立という美名の下に、一切の政治的な判断が出来ない、そういう意味では偏頗な公務員を大量に生産するという結果になりやすい。事実、そういうふうになりつつある。自由とか、民主主義とかいう政治的なことには不感症な、ニヒルな官僚が模範的な官僚として推奨される結果になる。いいかえれば、公務員という身分に、人間として市民としての側面がすっかり吸収されてしまう」(「現代文明と政治の動向」1953年)

 

これ、「公務員」「教員」に置き換えても通用するんじゃないかな。学校の先生は、政治的関心を持つことが許されていません。そして先生は同僚にも生徒にもそれを許しません。

 

かつて「明日のハナコ」の封印を解く活動に参加してくれた先生がいました。いい先生でした。でもある日、校長に呼ばれました。そしてこう言われたそうです。「君は、学校を背負っているんだということを忘れないように。大事な生徒に迷惑がかからないように行動してください」この校長、人の脅し方をよく知ってます。それで彼は僕たちの活動から抜けました。

 

それでも、です。

民主主義社会というのは、政治的な関心なしには成立しません。政治家の思想や行動を監視しそれを投票行動に生かしていかなければなりません。「人は間違うことがある」「だからみんなでよく話し合い、考えていくことが重要だ」というのが民主主義です。表現の自由というのは、その意味で、この国の一番大切な部分になっています。

さてそこで、もう一度、さっきの先生の言葉を繰り返します。

 

生徒たちも、「明日のハナコ」が封印された出来事に関心を持ち、いつか自分たちで演じてみたい、と考えていたようです。生徒も教員も、表現に関わる者として、また教育の場でこのような公演をさせていただくことの意味を噛みしめながら、本番を迎えたいと思います。

 

どうでい、

泣けるじゃねえか、なあ、サクラ。(←だれなんだ(^^ゞ))

 

                             (玉村徹)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆下関の「明日のハナコ」・公演を終えて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下関中等教育学校演劇部の顧問の先生から、メールをいただきました。許可を得て、ここに上演後の感想と写真を転載させていただきます。

 

「4月27日(土)に、無事公演を終えることができました。練習不足や未熟な部分もあった上演でしたが、観客の方に少しでも伝わるものになったように思います。観に来ていただいた方のアンケートから、いくつか感想を抜粋します。」

・芸術は自由な表現ができる、と思っていましたが、「明日のハナコ」のように封印されてしまうものもあると初めて知りました。こうしてこの公演を今見ることができるのは、色々な人が行動を起こしたからなんだろうな…と思いました。

・1月1日の震災のせいでこの台本は今、作られたときより、上演されたときより、もっと批評的ですね。

・心に響いた台詞がたくさんあった。上演することにすごく意味があると思います。

・明日について考えさせられる素敵な劇だなと思いながら見ました。少しでも未来を変えようとする2人のように、私も未来について考えてみようと思います。

 

役者同士のやりとりを「台詞のキャッチボール」なんて言いますが、舞台は、それを作る側とお客さんとのキャッチボールでもあります。こちらが投げたボールが、こんなふうな感想として投げ返されたということが本当に素晴らしいと思います。言葉には言葉を、アクションにはアクションですから。

 

 

と、ここで僕も、思いっきり遠くにボールを投げてみようと思います。ほら、このへんからまた長くなるぞ~(^^ゞ)

 

小磯國昭(こいそくにあき)という人がいました。1880年〈明治13年〉に生まれて1950年に亡くなっています。若い人は知らないかしら。以下はウィキペディアからの引用になります。

小磯國昭は日本の陸軍軍人で政治家。戦前から戦中にかけて活躍。陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官を歴任後、平沼内閣と米内内閣で拓務大臣、朝鮮総督(第8代)を務め、太平洋戦争中にサイパン失陥を受け辞職した東條英機の後継として1944年(昭和19年)に内閣総理大臣に就任した。悪化の一途をたどる戦局の挽回を果たせず、中華民国との単独和平交渉も頓挫し、小磯は1945年(昭和20年)4月に辞任し鈴木貫太郎に後を譲った。
戦後、戦争犯罪人として逮捕され、1948年に極東国際軍事裁判で終身禁錮刑となる。1950年、巣鴨拘置所内で食道癌により死去。享年70。

こらこらそこの人。飛ばし読みしないように。戦争なんて昔の話だ、なんて思ってたらダメですぞ。「歴史は繰り返さないけれど韻を踏む」って磯田道史先生もおっしゃってます。過去の出来事は姿を変えて未来にまた現れてくるもんなんです。

 

小磯という人は要するに、かつて軍事・政治の面で日本の舵取りをした人たちの一人、ということになります。早い話が、日本という車の運転手だった。そして、その日本という車は大事故を起こしました。太平洋戦争です。このとき、その車の乗客(日本人)のうち約310万人が亡くなりました。悲しいことです。

でももっと悲しいことは、この車がとんでもない数の人をひき殺してしまったということです。正確な数字は集計方法で変わってくるみたいですが、たとえば中国人の犠牲者数は軍人と民間人を合計すると実に2,400万人に達するそうです。フィリピンやマレーシア、インドネシアでもたくさんの人がこの車に「ひき殺されて」います。

 

すごい数字です。

あの悪名高いナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺だって600万人くらいと言われています。連日報道されているイスラエルによるガザ地区爆撃だって数万人です。人の命は数の問題じゃないとは思いますが、もうなんというか、ケタが違う。私ら、歴史に残る大量虐殺をやっちまった国民なんです。

 

さて戦後、小磯は軍事裁判にかけられます。

検察官が問い詰めます。

「あなたは1931年(昭和6年)の三月事件に反対し、あなたはまた満州事変の勃発を阻止しようとし、またさらにあなたは中国における日本の冒険に反対し、さらにあなたは三国同盟にも反対し、またあなたは米国に対する戦争に突入せることに反対を表し、さらにあなたが首相であったときにシナ事件の解決に努めた。けれども、すべてにおいてあなたの努力は見事に粉砕されて、かつあなたの思想及びあなたの希望が実現されることを阻まれてしまったということを述べておりますけれども、もしあなたがほんとうに良心的にこれらの事件、これらの政策というものに不同意であり、そして実際にこれらに対して反対をしておったならば、なぜにあなたは次から次へと政府部内において重要な地位を占めることをあなた自身が受け入れ、、そうして、自分では一生懸命に反対したと言っておられるところの、これらの非常に重要な事項の指導者の一人とみずからなってしまったのでしょうか」

 

これに対して小磯が答えます。

「われわれ日本人の行き方として、自分の意見は意見、議論は議論といたしまして、国策がいやしくも決定せられました以上、我々はその国策に従って努力するというのがわれわれに課せられた従来の慣習であり、また尊重せらるる行き方であります」

 

これ、一国の指導者の言葉です。

 

決められたことには従わなくちゃいけない。それを誰が決めたかなんてことは問題ではない。それが正しいかなんてことも問題ではない。和を乱すな。人に迷惑をかけるな。空気を読め。そういう考えがこの国には根深く存在しています。今だってそうです。政治家の多くは間違ったことをしても責任をとりません。会計担当の秘書がやったのだとか、昔からの慣例で続けていただけだとか、いろいろ言い訳はするのですが、「よしわかった、おれが悪かったんだ。すまん」という声を聞いたことがない。

これは、そんな政治家たちの面の皮が戦車の装甲板なみに分厚いということもあるのかも知れませんが、もしかしたら小磯のように、「悪いことをしたとは思っていない」「みんなが悪かったので、自分はその流れに従っただけだ」と思っているのかも知れません。だからそもそも「責任をとる」という概念がない。

 

流れに流されているだけの人は、自分の意思で行動しているわけではないので、その行動に責任をとる気持ちもありません。クラスでイジメがあった。教科書を隠したり外履きをゴミ箱に捨てたり。もちろん悪いことです。けれども、クラスの中にイジメを認めるような空気が存在した場合、「あいつ生意気だから懲らしめてやろうぜ」みたいな空気があった場合、イジメをしても罪悪感が生まれません。みんなやってるし。みんな黙認してるし。みんな同じ気持ちだし。だからこのくらいどうってことない。

 

やがてイジメが発覚し、虐められていた生徒がどれほど苦しんだかが白日の下にさらされても、こういうイジメ加害者達は、なぜ自分たちが責められなくてはならないのか、理解できません。意思がないところには責任感もありません。ゾンビやロボットには自分が悪いという自覚がない。

 

反対に言えば、自分が悪であるという自覚があって初めて、人間は人間になるとも言えるかもしれません。罪悪感が人を育てる。ハッピーな成功体験だけが人を作るのではなく。

 

もちろん、日本人のすべてがゾンビである、といっているわけではありません。他の国にもそういう人はいるかも知れない。人類に共通した宿痾なのかも知れない。日本から出たことのない僕にはそこまでの知識はありませんけど。

 

反対するべき時に沈黙し、意思を放棄し、流れや空気や権威に盲従してしまうのは、自分が無力だと思っているからです。反対してもどうにもならない、そう思っているからです。世界は変えられない、多勢に無勢、所詮俺なんかゴミだチリだクズなんだ。僕たちに取り憑いているのはそういう無力感です。そして、それが戦争や大量虐殺やイジメや政治腐敗を生み出してきたのではないかと思います。

 

 

ここで話を元に戻します。

「少しでも未来を変えようとする2人のように、私も未来について考えてみようと思います。」

こんな感想を生み出すことができた舞台は、もう絶対に大成功だったと思います。人は無力ではありません。世界は「私」によって変えることができる。私たちは傍観者ではない。ましてやただの乗客でもない。

 

下関中等教育学校演劇部の皆さんに幸あらんことを。

 

                                                (玉村徹)

 

 

 

 

                           

2024年4月20日(8_18)_edited_edited.jpg
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