福井の高校演劇から表現の自由を失わせないための
『明日のハナコ』上演実行委員会
Executive committee for presentation of drama"Hanako of Tomorrow"
in order to protect the freedom of expression in high school drama activity in Fukui
◆『表現部とっとりのハナコ』と長崎の折り鶴
『表現部とっとりのハナコ』のみなさんがまたもや「明日のハナコ」を上演してくださる。僕はアムロ・レイではないけれど、「こんなに嬉しいことはない。」そういえば彼がこの言葉を発したのは、信頼するに足る仲間を発見したときでしたね。
日時 2025年1月19日(日) 18:00開場 18:30開演
場所 とりぎん文化会館リハーサル室
(〒680-0017 鳥取市尚徳町101-5
TEL 0857-21-8700(代表) FAX 0857-21-8705)
『表現部とっとりのハナコ』の方からコメントをもらいました。
「昨年8月の鳥取でのドラマリーディング公演後、また、ハナコの公演をしよう!という声があれば、またその時は・・・と思っていました。
元々、「明日のハナコ」とは、長い時間をかけて関わっていこうと思っていたので、またいつか‥いつかっていつかなー?とのんびり考えておりました。
そんな今年の3月、福井市での「明日のハナコ」を、演出と部長と私が見て、動き出しましたね。また次のハナコが。」
長い時間、というところが泣けます。
「やりたい!と思ったら、それがやるべき時だ、逃したらダメだと思う。」
この瞬発力がまた、泣けます。
それで役者はというと、
「1人は、昨年8月のドラマリーディングの時に、小夜子役をしてくれた、社会人の女性です。和歌山県出身、子供の頃から演劇には関わっておられ、大学で鳥取に来られてからは、鳥取大学の演劇サークルで活動されていました。大学を卒業後も鳥取に就職して残られて、今もいろいろな劇団に役者として参加されている、めっちゃパワフルな子です。彼女が小夜子を演じます。
そしてもう1人は、昨年のハナコの公演が終わった後に、鳥取市に学生劇団を立ち上げたのですが、そこの稽古場に来てくれて、出会った子です。沖縄県出身、高校演劇をしていた子で、現在大学4年生。大学を卒業するまでの今年度中に、ハナコの公演をするから出ない?と誘ったところ、二つ返事でやります!と受けてくれた子です。今しっかり演劇と向き合ってくれている、彼女がハナコを演じます。」
若者たちが頑張ってるなんて、もう号泣です。
どうかみなさん、1月はぜひ、鳥取市への旅行をご検討ください。きっと日本海の海の幸も美味しいはずです(^_^)
で、これで終わっていいんですけど、またもや長々と蛇足を書き連ねます。もうあきらめてください。元教員だったので話が長くなるんです。
いま、長崎を舞台にした脚本を書いているので、いろいろと彼の地について調べています。僕が最初に長崎を訪れたのは修学旅行の引率者としてでした。そのころ福井の高校は九州に行くことが多かったんです。太宰府に行ったり阿蘇山に登ったり、でも一番のイベントは『長崎市内班別自由行動』でした。生徒たちはグループに分かれて浦上天主堂とかグラバー園とか出島跡とかを見学するわけです。とはいえ僕たち教員は、生徒たちが問題を起こさないように神経をすり減らしていました。だから長崎の人と街をちゃんと見ていたかというと、あんまり自信はありません。
それから何年も経って、今度は演劇部の顧問として長崎に行きました。そこで全国高等学校総合文化祭が開催されたんです。文化部のインターハイって呼ばれてる大会です。その演劇部門に・・・部として出場できたら良かったんだけど、残念ながらうちの部はそこまでの成績は上げられなくて、僕一人、大会役員として参加しました。4泊5日の日程で、長崎の高校生たちとふれあうことになりました。
そのとき、長崎の演劇部顧問のT先生と知り合いました。彼はまだ若い先生でしたが、本当にまっすぐで気持ちの良い人で、ああ、こういう先生だったら生徒は幸せだろうなあ、と思ったものです。
その彼と話をしていたら、「長崎の学校では、みんな毎年夏には千羽鶴を折ります。」と言うんです。小学生も中学生も高校生も、必ず毎年、折る。「え、福井県ではせられんですか」
いやいや。折る人もいるだろうけど、うーん、福井じゃ滅多にないねえ。長崎の原爆のことはもちろん知っている。知識もある。テレビでも中継してるしね、平和式典。黙祷もするんじゃなかったかな。でも夏休み中だから、学校に人があんまりいないことも多いし。
「そうなんですか。てっきり他の県でもみんなやってると思ってました。うちらは折るのが普通やけん。はあ、そうなんですか」
僕たちも修学旅行に行くときは、生徒に千羽鶴を折らせていました。生徒たちも、いい加減な気持ちで折ったわけではないと思います。でも、それはやっぱり『長崎に修学旅行に行くから』でした。その学年だけが、千羽鶴を折っていた。「みんな毎年夏に」折ったりはしなかった。
けれども、長崎の人々は折り続けていた。今も折り続けているでしょう。たぶん、広島でも同じじゃないかと思います。そういう息の長い活動が、この国には、ある。それは誇らしいことだと思います。
「鶴なんか折ったって無駄だよ」なんていうのは簡単です。自分の情けなさをネガティブな言葉に変えて人にぶつけるのは簡単です。本当に難しいのは、本当に尊いのは続けることです。
長崎の悲劇の後、核兵器は一度も戦争に使われていません。長崎と広島の人たちが声を挙げ続けたからだと思います。未来を作るのは、武器でもお金でもなくて、こういう人間の営みだと思います。
「とっとりのハナコ」のみなさんのしていることは、まさにそれです。
最後に、被爆三世の少女の言葉を引用しておきます。中学三年生、演劇部だそうです。
『戦争をやってるのはすごくおじさんじゃないですか。その人達は要するに、自分のことしか考えてないんですよ。自分のことしか考えられないのは幼稚だと思うんですよ。ことばは悪いですが、嫌なんですよ、そういう人達がいるってことが。わかってほしいんですよ。人は傷つきやすいとか、人間にはいろんな価値観があって、人それぞれ違うんだということを。わかってたら少しはね、戦争がなくなるかもしれないんじゃないですか。どういう教育をしたら、人間が変わるかという難しい話もあるみたいだけど。でも、本人がちゃんとわかってたら、人間のいろんな価値観とかちゃんとわかってたら、戦争なんてなくなるのになあと思います』(「原爆被爆者三世代の証言」澤田愛子・創元社・262ページ)
(玉村徹)